2018-08-18(Sat)
飛騨川バス転落事故50年 104人犠牲 国内最大
異常気象続発 いまこそ教訓かみしめ 現場近くで慰霊法要
1968年8月18日未明 観光バス2台 集中豪雨・土石流にのまれ転落
----乗客・乗員百四人が犠牲になった「飛騨川バス転落事故」から十八日で五十年。
豪雨がもたらした惨事だったが、異常気象が続発する今こそ、この悲劇がもたらした教訓をあらためてかみしめたい。
中日新聞が「半世紀経ても残る教訓」と社説を掲げている。
この事故を教訓に、事故までは一般的だった「災害が起きてから通行止め」を改めた。
69年度から、連続雨量が基準を超えたら通行止めにする「事前通行規制制度」を始めたという。
国などの管理者責任は、裁判でも確定しているようだ。
名古屋高裁は、74年11月、遺族側が損害賠償を求めた訴訟の判決で
「土砂崩れの発生は予測可能だった。道路の安全管理に不備があった」
と国に約4億円の支払いを命令、確定している。
中日新聞 2018年8月18日
社説:飛騨川バス事故 半世紀経ても残る教訓
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018081802000119.html
岐阜県HP
飛騨川バス転落事故(8月17日豪雨災害)(1968年昭和43年)
http://www.pref.gifu.lg.jp/kurashi/bosai/shizen-saigai/11115/siryou/hidagawabasu.html
----観光バス2台が、集中豪雨による土石流にのまれて飛騨川へ転落。104人の生命が奪われた。昭和43年8月18日午前2時11分、加茂郡白川町地内の国道41号での出来事である。
荒れ狂う飛騨川に転落したのは、乗鞍岳の観光登山に向かい、豪雨のため登山を断念して引き返す途中の観光バス2台であった。
折から県内(奥美濃)は時間雨量149ミリという、岐阜地方気象台始まって以来の集中豪雨。転落したバスからは、わずか3人が奇跡的に助かっただけであった。一か所のバス事故で104人もの犠牲者が出たのは史上初めてのことであり、きわめて悲惨な事故となった。・・・・
1968年8月18日未明 観光バス2台 集中豪雨・土石流にのまれ転落
----乗客・乗員百四人が犠牲になった「飛騨川バス転落事故」から十八日で五十年。
豪雨がもたらした惨事だったが、異常気象が続発する今こそ、この悲劇がもたらした教訓をあらためてかみしめたい。
中日新聞が「半世紀経ても残る教訓」と社説を掲げている。
この事故を教訓に、事故までは一般的だった「災害が起きてから通行止め」を改めた。
69年度から、連続雨量が基準を超えたら通行止めにする「事前通行規制制度」を始めたという。
国などの管理者責任は、裁判でも確定しているようだ。
名古屋高裁は、74年11月、遺族側が損害賠償を求めた訴訟の判決で
「土砂崩れの発生は予測可能だった。道路の安全管理に不備があった」
と国に約4億円の支払いを命令、確定している。
中日新聞 2018年8月18日
社説:飛騨川バス事故 半世紀経ても残る教訓
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018081802000119.html
岐阜県HP
飛騨川バス転落事故(8月17日豪雨災害)(1968年昭和43年)
http://www.pref.gifu.lg.jp/kurashi/bosai/shizen-saigai/11115/siryou/hidagawabasu.html
----観光バス2台が、集中豪雨による土石流にのまれて飛騨川へ転落。104人の生命が奪われた。昭和43年8月18日午前2時11分、加茂郡白川町地内の国道41号での出来事である。
荒れ狂う飛騨川に転落したのは、乗鞍岳の観光登山に向かい、豪雨のため登山を断念して引き返す途中の観光バス2台であった。
折から県内(奥美濃)は時間雨量149ミリという、岐阜地方気象台始まって以来の集中豪雨。転落したバスからは、わずか3人が奇跡的に助かっただけであった。一か所のバス事故で104人もの犠牲者が出たのは史上初めてのことであり、きわめて悲惨な事故となった。・・・・