2019-08-12(Mon)
「森友問題」再び不起訴 公判回避は納得できぬ
検察の威信どこ行った 森友捜査終結 民主主義が問われる 真相解明の責任国会に
朝日新聞デジタル2019年8月11日05時00分
(社説)森友捜査終結 民主主義が問われる
----財務省はなぜ、鑑定価格から9割近く、8億円余も値引きして国有地を森友側に売却したのか。その決裁文書や報告書の改ざんと廃棄は誰が、なぜ判断し、どう実行されたのか。
----国有地は国民共有の財産であり、公文書は国民共有の知的資源である。異例の安値売却で貴重な財産が損なわれ、行政の公平性がないがしろにされた疑いは否定できない。文書の改ざんと廃棄で国民の知る権利の土台が傷つけられ、それをもとに国会で審議が重ねられた。
----民主主義の根幹にかかわる事態である。うやむやにすますわけにはいかない。
まず問われるのは麻生財務相だ。・・・・その麻生氏を任命した安倍首相に関しては、妻昭恵氏をめぐる疑問が今も消えていない。
森友学園が開校を目指していた小学校の名誉校長に昭恵氏が就いていたことが、一連の問題の背景にあったのではないか。・・・・文書から昭恵氏らの名前が削除されていたことがわかった。首相は「私や妻が関わっていれば、首相も国会議員もやめる」と発言したが、自ら解明に動くことはなかった。
----行政が正常に機能しないのならば、国会がただすしかない。
----捜査当局による「森友事件」は終わった。しかし「森友問題」を終わらせてはならない。
信濃毎日新聞 (2019年8月12日)
社説:森友捜査終結 真相解明の責任国会に
----財務省幹部らの誰も刑事責任を問われることがないまま、捜査は終結した。釈然としない思いにとらわれる。
----公文書は、国の意思決定が適切、公正になされたかを検証するのに欠かせない手がかりだ。改ざんや不当な廃棄は、民主主義の土台を壊すに等しい。うやむやに済ますわけにはいかない。
----捜査が終わったからといって、森友問題に片がついたわけではない。この国の政治、行政の根本に関わる問題として国会は徹底して真相を究明する責任がある。・・・・行政を監視するのは国会の役目だ。国権の最高機関として強い権限を持つ。与党もその責務を果たさなくてはならない。
[京都新聞 2019年08月12日掲載]
社説:森友捜査終結 公判回避は納得できぬ
----だが、市民の代表からなる検審の議決を尊重せず、どう再捜査したかも明かさないのでは、検審制度を形骸化させる。特捜部は任意での関係者聴取に終始して家宅捜索を行わず、起訴を求める弁護士らから「結論ありき」「政治的判断」と疑う声も出ている。
特捜部の膨大な調書が不起訴で公にならないことは、国民の知る権利にとって不利益だ。起訴に厳格なハードルを課すよりも「公判で積極的に証拠を示し、議論すべき」という学識者らの指摘はもっともだろう。
中国新聞 2019/8/11
社説:「森友問題」再び不起訴 検察の威信どこ行った
----特捜部は「起訴に足る証拠を収集することができなかった」とし、嫌疑不十分を理由に不起訴とした。しかし、問われているのは行政の公平性である。黒白をつけぬまま、済ませる問題ではなかろう。
特捜部は関係者の聴取を積み重ね、膨大な数の調書を抱えているとされる。公判に持ち込んで全てを明らかにし、裁判所の判断を仰ぐ。そんな選択肢もあったはずである。それこそが国民の期待に応える道だったのではないか。
----とりわけ公文書改ざんが不問に付された点については納得がいかない。財務省の決裁文書からは、安倍晋三首相の妻昭恵氏や政治家の名前が削除されていた。改ざんの事実は、物的証拠も含めて明白である。
----責任逃れにも程がある。森友問題の本質は、国有地売却に関して政権の関与があったかどうかである。一字たりともゆるがせにできないはずの官僚がなぜ、決裁を取り直しもせず、こっそり書き換えたのか。見過ごしていいはずがない。
今回みたいな司法判断に基づけば、内容の本筋さえ変わらなければ、公文書をいくらでも改ざんできることになる。公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と法律に明記している。あしき前例にしてはなるまい。
朝日新聞デジタル2019年8月11日05時00分
(社説)森友捜査終結 民主主義が問われる
----財務省はなぜ、鑑定価格から9割近く、8億円余も値引きして国有地を森友側に売却したのか。その決裁文書や報告書の改ざんと廃棄は誰が、なぜ判断し、どう実行されたのか。
----国有地は国民共有の財産であり、公文書は国民共有の知的資源である。異例の安値売却で貴重な財産が損なわれ、行政の公平性がないがしろにされた疑いは否定できない。文書の改ざんと廃棄で国民の知る権利の土台が傷つけられ、それをもとに国会で審議が重ねられた。
----民主主義の根幹にかかわる事態である。うやむやにすますわけにはいかない。
まず問われるのは麻生財務相だ。・・・・その麻生氏を任命した安倍首相に関しては、妻昭恵氏をめぐる疑問が今も消えていない。
森友学園が開校を目指していた小学校の名誉校長に昭恵氏が就いていたことが、一連の問題の背景にあったのではないか。・・・・文書から昭恵氏らの名前が削除されていたことがわかった。首相は「私や妻が関わっていれば、首相も国会議員もやめる」と発言したが、自ら解明に動くことはなかった。
----行政が正常に機能しないのならば、国会がただすしかない。
----捜査当局による「森友事件」は終わった。しかし「森友問題」を終わらせてはならない。
信濃毎日新聞 (2019年8月12日)
社説:森友捜査終結 真相解明の責任国会に
----財務省幹部らの誰も刑事責任を問われることがないまま、捜査は終結した。釈然としない思いにとらわれる。
----公文書は、国の意思決定が適切、公正になされたかを検証するのに欠かせない手がかりだ。改ざんや不当な廃棄は、民主主義の土台を壊すに等しい。うやむやに済ますわけにはいかない。
----捜査が終わったからといって、森友問題に片がついたわけではない。この国の政治、行政の根本に関わる問題として国会は徹底して真相を究明する責任がある。・・・・行政を監視するのは国会の役目だ。国権の最高機関として強い権限を持つ。与党もその責務を果たさなくてはならない。
[京都新聞 2019年08月12日掲載]
社説:森友捜査終結 公判回避は納得できぬ
----だが、市民の代表からなる検審の議決を尊重せず、どう再捜査したかも明かさないのでは、検審制度を形骸化させる。特捜部は任意での関係者聴取に終始して家宅捜索を行わず、起訴を求める弁護士らから「結論ありき」「政治的判断」と疑う声も出ている。
特捜部の膨大な調書が不起訴で公にならないことは、国民の知る権利にとって不利益だ。起訴に厳格なハードルを課すよりも「公判で積極的に証拠を示し、議論すべき」という学識者らの指摘はもっともだろう。
中国新聞 2019/8/11
社説:「森友問題」再び不起訴 検察の威信どこ行った
----特捜部は「起訴に足る証拠を収集することができなかった」とし、嫌疑不十分を理由に不起訴とした。しかし、問われているのは行政の公平性である。黒白をつけぬまま、済ませる問題ではなかろう。
特捜部は関係者の聴取を積み重ね、膨大な数の調書を抱えているとされる。公判に持ち込んで全てを明らかにし、裁判所の判断を仰ぐ。そんな選択肢もあったはずである。それこそが国民の期待に応える道だったのではないか。
----とりわけ公文書改ざんが不問に付された点については納得がいかない。財務省の決裁文書からは、安倍晋三首相の妻昭恵氏や政治家の名前が削除されていた。改ざんの事実は、物的証拠も含めて明白である。
----責任逃れにも程がある。森友問題の本質は、国有地売却に関して政権の関与があったかどうかである。一字たりともゆるがせにできないはずの官僚がなぜ、決裁を取り直しもせず、こっそり書き換えたのか。見過ごしていいはずがない。
今回みたいな司法判断に基づけば、内容の本筋さえ変わらなければ、公文書をいくらでも改ざんできることになる。公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と法律に明記している。あしき前例にしてはなるまい。